今、78歳になられる剣道の師範のO先生がいらっしゃいます。戦後を迎え、学校の剣道の授業の際のことだったそうですが、O先生が、相手へ胴を決めて「一本」をとると、そのまま足をかけ大外刈りで相手を倒し、しめ技に入り、気絶させたそうです。指導の先生が慌ててとめに入り「お前のは剣道でなく、戦さ」だと笑っておられたそうです。O先生も「俺が習った頃は竹刀じゃなく木刀だったし、相手を仕留めろと言われていからなあww(笑)」。いかにも武の町でもある犬山らしいお話です。O先生も人格的に素晴らしく、心と技、が両方整った正しく先生でもあります。
拙僧も柔道を習っておりましたが師範から心得として
「喧嘩には決して決して柔道を使うな」
と戒められておりました。柔道が世界的に広まったのも、その精神性が故でございます。来年2021年の新たな中学校などの学習指導要領の施行に伴い、格技の選択肢として新たに銃剣術が明記されました。実施するか否かは各教育委員会や学校の判断になるようですが、国のお墨付きが付き、学校として実施し教えることが可能となっていますので、銃剣術を習う中学生も出てくる可能性があります。いろいろな議論がまた出てくると思いますが、続けるのか辞めるのかも含め、技よりも、それを使うものの人としての心を育てることこそ重要かと思います。あまりご存じない方が多いですので、ご紹介致します。
コロナの中、子供たちは家の中で「スイッチ」というポータブルの無線機能付きのゲーム機で通信機能を使って遊ぶ子供が増えました。「スイッチ」で流行ったゲームソフトでよく聞くのは人を殺し合う戦争ゲームです。血しぶきが飛び、首が飛ぶ、かなり衝撃的な内容ですが、子供たちが平然と殺し合いをしていること(バーチャルですが)不安を覚える親御さんもおられました。あるご家庭では小学生から本物の「AK47アサルトライフル」が欲しいとねだられたそうです。。彼我の命の教育がない中で、ゲームの内容のみが先走り、「人を殺してみたいという」子供が出てこないことを願うばかりです。
住職の家系はもともと武家でございました。家に伝わる教えがございますので紹介致します。
「刀は見せるためのもの、抜いてはならぬ」
争いはエスカレートさせてはなりません。相手を傷つけることなく相手を思い、制し御す(コントロール)ことが、武術の一つの目標でございます。またそれが人として本当の強さに思います。 ただただ強制力に媚び、弱いものを言葉や文字や力で容赦なく叩きのめすことは、武ではありません。単なる暴力、虐殺でございます。
それは叩かれることを恐れ自分はそうなるまいと自己保身のみを考える弱きもののエゴでありましょう。先日触れましたがそれは人ではなく「ケモノ」の所業でございます。
ありきたりですが、行きつくところ、強さとはすなわち優しさ(慈悲)でございます。この数年、互いにひどく叩き合い、クレームを言い合う社会となって参りました。戦は戦の苦しみを知らぬもの、戦の前線に立たぬものが無責任に始め、若者がその前線に立ちます。是非そうなりませんよう願います。
合掌 常 範空 m(_ _)m
※)写真は公に公開されておりますものを引用しております。全日本銃剣道連盟による大多喜町立大多喜中学校の生徒の模擬授業風景。
保健体育科の改訂のポイント
スライド21枚目「学校や地域の実態に応じて,従前から示されているなぎなたに加えて,空手道,弓道,合気道,少林寺拳法,銃剣道などについても履修させることができることを新たに示した。」