人生120年

最近、「人生100年」とよく聞くようになりました。しかしまだまだ先があるようで現在50代の方は人生110年代に突入する可能性があり、それ以下の世代の方は人生120年あるいはそれ以上ということになってくるのかもしれません。そうなると子や孫がなんとそれぞれ90歳と60歳などという事もあるかもしれません。

たた人間も地球上の生命の一部にすぎませんので人間だけが、寿命を延ばすことはありえず、その弊害(環境負荷やそれ以外の問題)が出てきて、その延びをある段階で調整するのだろうととも思います。コロナもその一つでしょうか。

しかし「人生50年」と言われていた戦国、安土桃山時代に比べれば、寿命は約倍になりつつあります。そうなるといわば昔に比べれば「二回」人生を生きることになりますので、何かやることと見つけないと、生きることに飽きてしまう、あるいは生きることが嫌になる方も出てくるかもしれません。シビアな話ですが「安楽死」を望む方も出てくる可能性もあります。あるいは周りにおしゃべりをする方いなくなり自死を選ぶ方も出てくるかもしれません。

コロナのせいもあり、「もう長生きしたくないわ」という方がいらっしゃるというお話を先日書きましたが、予想外に伸びてしまった今世に、燃え尽きてしまう、飽きてしまう、何をしたらよいか分からない方が出てき始めているように思います。その時、何が人には必要か?人の欲には限りがありませんが、時間が長すぎると、いずれ自分のためだけに生きることには限界が生じて参ります。「二回目の人生」皆さまの生き甲斐は何でしょうか?それに変わる生き甲斐が必要とされているように思います。

今回、給付された給付金を寄付金として基金を作り、子供食堂などの社会的活動に生かす取り組みが話題ですが、寄付をした世代で一番多かったのが20代の若者であるそうです。社会に如何に自らを還元していくのか?という事に若者の意識が変化し始めました。

「人生50年」あれもやりたかった、これもやりたかった。。、から「人生120年」あれもやったし、これもやったし、あと何をしよう?、への変化。いつまで生きられるか?ではなく、いつまで生きるのか?への変化。今まで一番やろうとしなかったことを生き甲斐として取り組んでみるのも一つかもしれません。ある本を読んでいてより伸びるかもしれない寿命の中で、如何に生きるか?に頭を巡らしていました。

「二回目の人生」が与えられ時、皆さまの生き甲斐は何でしょうか?

一休禅師の「正月は死への旅路の一里塚」や幸若舞の「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり、滅せぬ者のあるべきか」から死生観が大きく変化しつつあります。

極楽浄土からどんどん遠のきますので、この世に極楽を作らないといけませんね。。

合掌 常 範空 m(_ _)m