(利己的合理主義への反論)「強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ」”竈門炭治郎”

拙僧はテレビを全く見ないのですが、ある人から「是非見てみてください」と言われ、「鬼滅の刃」の漫画を読みはじめました。鬼滅の刃の映画をお子さんやお孫さんと一緒に見られた方も多いのではないでしょうか。

「鬼滅の刃」の主人公の竈門炭治郎は家族を鬼に殺され、鬼に半分なってしまった妹を人間に戻すべく、鬼たちと否応なしに戦います。

タイトルの言葉は「弱者が淘汰されるのは自然の摂理だ」と語る鬼の猗窩座(あかざ)に対し、主人公の竈門炭治郎が放った言葉です。

「弱者が淘汰されるのは自然の摂理だ」 という新自由主義的言葉は行き過ぎですが、 自助や自己責任が好きな昨今の日本社会では 「仕方がない」と諦め気味に、 許容されてしまう言葉なのかもしれません。 「そんなことはないだろう」 と思われる方もいらっしゃるかもしれません。 しかしThe Pew Global Attitudes Projectという調査の中で「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と答えた日本人の割合が、なんと世界で断トツに多い38%であったそうです。(日本以外の国ではどこも8%~10%くらいだそうです)この統計が間違っていることを強く祈ります。

弱肉強食という摂理はケモノの世界のものではないでしょうか。我々の社会は「人間」のものであるはずです。

近年〇〇ファーストという言葉が流行り、無意識に使われてしまっていますが、弱肉強食是認の社会の中でエゴと自分ファーストを貫かざるを得ないギスギスした社会に皆疲れを感じ始めているようにも思えます。

竈門炭治郎(鬼滅の刃)(2020)、半沢直樹(2020)、米映画 JOKER(2019) など、 近年、社会現象にまでなる作品を考えてみると、弱肉強食を是認したり、社会の中で真の「公」がなくなりつつあることへの反論(アンチテーゼ)ではないのかと感じます。

ある国では道に迷うと、反対側の歩道から「道に迷ったのか?」と車道を渡り助けに来てくれます。

またある国では子供が道に迷っていても、後難を恐れ、知らないふりで、通り過ぎていきます。

人を助ける社会と助けない社会。どちらが「人」の社会でしょうか。どちらが地獄であるでしょうか。人は鬼にもケモノにも佛にもなること出来ます。

風向きを見ながら弱い者が更に弱いものを叩くのではなく、「強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ」

主人公、竈門炭治郎は、こう言いながら、戦い命を奪わざるを得なかった「鬼」たちにも「成仏してください、成仏してください」と目を閉じ、骸の横で手を合わせます。

こうした敵である「鬼」たちにさえも、その境遇に共感し、いたわる炭治郎の「慈悲」もしくは「利他」の気持ちに、不安な時代にあって、癒しや慰めを感じる方が多いのではないのかなと感じた次第です。すなわち利己的合理主義への反論が鬼滅の刃の一つの核。

先日の中外日報にもありましたが、自らに都合の悪いことから逃げずに、目を逸らさない「正見」を体現する主人公、炭治郎のまっすぐに進み続ける姿が、問われる令和の時代かと思います。

合掌 常 範空 m(_ _)m