鬼と節分 

もうすぐ節分がまいります。
今年ももう一月が過ぎようとしておりますが、
旧暦では節分を境に、新しい年、丑年が始まります。皆さま御変りありませんでしょうか。イライラされている方が多いなあと感じます。後でコロナの時代も振り返ることになりますがら、この時代のことを覚えておきたいと思っています。

節分には「鬼」をはらう風習の豆まき等がありますが、
お寺の境内の中にも「鬼」と「鬼(魔)除け」が同時に存在しています。

鬼(魔)除けは以前、桃太郎の寓話でお話しました「桃」や、あるいは「椿」も古来、霊木とされ、境内の結界として四隅に植えられてきました。瓦の「桃」は”外から悪い鬼が入って来ないように”との意味ですね。

一方で境内の中にある(いる)鬼ですが、それは本堂の屋根に施されている
鬼瓦の「鬼」です。より強い力を以て魔を寄せ付けないという考えですが、元々の鬼瓦の起源はギリシャ神話のメデゥーサだと言われております。メデゥーサは目があった者を全て石にしてしまう魔物ですが、それが数千キロを超えるシルクロードを伝わる間に、日本では「鬼」となり、鬼瓦として用いられたと言われています。
余談ですが無敵の盾である「イージス(Aegis)」にもメデゥーサが施されています。

ですのでお寺の境内には、外から入ってこようとする、悪い「鬼」をはらうものと鬼を払ってくれる良い「鬼」が両方存在しています。こうしてみると悪い「鬼」はもっぱら外から入ってくるように思いがちですが果たしてそうでしょうか。

コロナの世界で浮彫になってきたコロナ感染者の方への自己責任論による誹謗中傷や、
医療技術者の方への差別、自己の感情のみで他人の行動を一方的に断じる自粛○○、自分だけが助かろうとするもの、などなど。あげたら切りがありませんが、日本人の中に、これ程に「鬼」がいるのかと驚く程です。

一番恐ろしいのは、外からの鬼もさることながら、「人」の内にある「鬼」の部分ではないでしょうか。漫画の「鬼滅の刃」の中に出てくる「鬼」たちは、もともと「人」でした。その「人」が、周囲の人間から大切な愛する者を、毒殺されたり、焼き殺されたり、差別をされたり、女衒に身売りをされたりし、自らを残酷に苦しめた人間に復讐するべく「鬼」となっていきました。

即ち「鬼」を作り出すのは、人間誰しもの内にある残酷な「鬼」の部分でもあるのです。

今、このコロナの世界では、格差が拡がっています。苦しみを感じるものとそうでないものが生まれています。人知れず苦しみ「鬼」となる人々がいらっしゃるかもしれません。

その時代の人と社会が鬼となり、その業がまた鬼を生んでいきます。すなわち鬼はその時代と人の投影であり、写しであり、私共自らが作り出したものなのです。

もうすぐ節分。新たな年と古い年の節目。今年の「福はウチ、鬼はソト」の「鬼はソト」の掛け声は、新たに「鬼」を作り出してしまうかもしれない、自分の内にある「鬼」をはらう気持ちで行ってみると良いかもしれません。

格差が拡がるほど、共感と優しさ、すなわち「慈悲」が大切な時代となって参りました。やはり追い詰められた時や思い通りにいかない時に優しくあることのできる人が誠に強い方ですね。本当によく「人」が見える時です。

合掌 常 範空 m(_ _)m

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