「私は死んだのですか」

三月になると東北大震災からはやいもので10年になります。誠に多くの方々が亡くなり、誠に大変でつらい出来事です。以下はその東北大震災の地で、タクシードライバーの方の経験をされた体験談の一部です。

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震災から3カ月ほどたった初夏の深夜、石巻駅周辺で真冬のコートを着た30代ぐらいの女性が乗車してきた。目的地をたずねると「南浜まで」と答えたので、「あそこはほとんど更地ですけど、かまいませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震える声で話した。驚いて後部座席を見ると、誰も座っていなかった。

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タクシーはメーターをたてて乗車記録も作成するので記録がはっきりと残るそうです。ただ乗ったはずが、いない場合は運転手さんが変わりにその支払いをするそうですので、その記録も残るとのこと。わざわざそんなことを運転手さんもしないように思います。まだ弥陀界にたどり着かれることなく、彷徨っていらっしゃるとするれば何ともやりきれないお話です。自分が死んだのかどうか分からない。。
コロナの世界でもこの世に残るもの、旅立つものの違いはありますが、苦しんでおられる方がたくさんおられます。

以下は、もうすぐ一周忌となるコロナで亡くなられた岡江久美子さんの娘、大和田美帆さんのお話です。

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私にとっても世間の皆様にとっても元気で明るく楽しい母のイメージのままって。すごいなぁ。苦しんでるところも亡くなった顔も棺の中の姿も見てない。そりゃ半年以上経って、いないのは分か>ってるけど実感がないのも仕方ないですよね。まだ辛いけどただ母の死やコロナから何か学びたくて必死です。

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大和田美帆さんは久美子さんのお骨を受け取ったとき本当に、それが母親である岡江久美子さんなのかどうか、よく分からず実感ができなかったというお話しもされております。往くものにとっても、現世に残るものにとっても、最後の別れの機会、区切りを奪われるということは、納得がいかず、しこりや後悔がずっと残ってしまい、本当に残酷なことだと思います。

お寺におりますと本当に不思議としか思えない経験をしたりお話を伺います。彼岸に往き、往生しようとするものにも、また此岸に残り生きるものにも、きちんと引導を渡し、次の「生」に向かって前向きに進んで頂くことのお助けをすることが供養と思います。


供養とはこの世を去ったもののみならず、この世を生きるわれわれも含めた全ての天地幽顕水陸諸霊にとって必要なことと思います。幽顕霊ともども彷徨うものが出てこない事を祈っております。

合掌 常 範空 m(_ _)m

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