人を許容し、優しくなるために

教員の時に学生から「勉強の目的は何ですか?、消費税の計算さえ出来れば生きていけますよね?」

と問われて、絶句したことがあります。確かに学校での勉強はすぐ役立つものではありません。しかし人間の訓練になります。役立つものだけにしか意味がないわけでもありません。

全く興味がない書物や苦手な科目に、じっと我慢して4時間も5時間もあるいはそれ以上の時間をかけて向かいあうことや、何か月も何年も分からない問題や課題と向き合うのは砂をかむような苦痛以外の何ものでもありません。

そうした苦痛だったり嫌な勉強から「こんなの意味がない」「分からない」とと理由をつけて逃げてしまうと、勉強だけでなく、その他の本質的に大切なものに対しても「分からないもの」「嫌なもの」は不要であるという勝手な理由、例えばそれが「無駄である」とか「無意味である」として、大切なものを独断とエゴにより切り捨ててしまうようになります。

太宰治はそうした人々を「むごいエゴイスト」だと表現しています。こうした人々はエゴにより許容できない他者やモノを傷つけることに何のためらないもなくなっていきます。

現代、コロナもあいまって「不寛容社会」に拍車がかかっているようにも感じますが、むごいエゴイストが増えてきたからかもしれません。もし今、学生に「勉強の目的は何ですか?」と聞かれれば「それは人を許容し、優しくなるためです」と答えます。

合掌 常 範空 m(_ _)m

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太宰治「正義と微笑」より引用

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることでなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、必ずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

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