時に大変厳しいお釈迦様

お釈迦様の説法は多くの修行者、修行僧を前に言わば講義のような形で行われています。その講義の中で先生(お釈迦様)は実に多くの神、天、前世、来世、極楽世界、地獄、業などの言葉を用いておられます。お釈迦様の講義内容を読んでいると、特に死後に赴く「地獄(悪しき処)」に関しては、その種類、数、地獄にいなければならない時間、その有り様などが、事細かに克明に描写がなされており誰しも深くその印象が残ります。血の池地獄とか紅蓮地獄などですね。

以下はコーカーリヤという修行僧が、お釈迦様の十大弟子のサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)を悪意や邪念がある者として悪く言うため、お釈迦様が「まあそう言うな」と三回コーカーリヤを諭すものの、彼にはそれが分からずその場を立ち去った後、その敵意故、程なくコーカーリヤは病苦で死んでしまい、死後、紅蓮地獄に堕ちたというお話です。

コーカリヤの死後、修行僧(学生)を前に語られたお釈迦様の言葉は大変に厳しく、もし拙僧がその場で聞いていたら、「これは落ち込むぞ」という内容ですが、やはりお釈迦様(先生)も言葉を尽くしても分からずやの学生がいることも踏まえて時に大変に厳しい言葉を用いて、学生たちを導いておられます。「「ここに説かれた死後の地獄の苦しみがどれほど永く続こうともその間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、ひとは清く、温良で、立派な徳を目指して、常にことば(口)とこころ(意)をつつしむべきである。」」

👆以上はコーカリヤという章の最後に出て来るお釈迦様の言葉ですが、「人(聖者)をからだと言葉と心を用いて傷つけてはならぬ、それはより深く重たい業となる」という佛の法の根幹にかかわるものであり、特にわれわれが何気なく言ってしまう悪口(あっく)は大変に仏法では業が深い行為で、現世でのその人が悪人か善人かを見極める主要な根拠となり、われわれが生まれ来る来世にも影響を及ぼす行為のため、より厳しい情景をお話されたのかもしれません。

以下は学生たちを前に釈尊がお話しをされた厳しいお言葉です。いかがでしょうか。👇

合掌 常満寺

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(中略)師(ブッダ)はこのように言われた。幸せな人である師は、このことを説いてから、更に次のように言われた。

人が生まれた時には実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。(中略)

害心なく清らかで罪汚れのない人を憎む、かの愚者には必ず悪が戻ってくる。風に逆らって微細な塵をまき散らすようなものである。

種々なる貪欲に耽る者は、ことばで他人をそしる。

かれ自身は信仰心なく、ものおしみして、不親切で、ケチで、やたらにかげ口を言うのだが。口穢(ぎたな)く、不実で卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪行をなす者よ。下劣を極め、不吉な出来損ないよ。この世であまりおしゃべりをするな。お前は地獄に堕ちるものだぞ。

お前は塵を撒いて不利を招き、罪を作りながら、諸々の善人を非難し、また多くの悪事をはたらいて、長い間、深い坑(あな)(地獄)に堕ちる。けだし何者も業の滅びることはない。それは必ず戻ってきて(業を作った)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。

(中略)(地獄に関する詳細な描写)

ここに説かれた死後の地獄の苦しみがどれほど永く続こうともその間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、ひとは清く、温良で、立派な徳を目指して、常にことば(口)とこころ(意)をつつしむべきである。

以上、中村元訳「ブッダの言葉」(岩波文庫)より引用

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