自我という気持ちが消えたならばそこにあるものが慈しみである

「自我という気持ちが消えたならばそこにあるものが慈しみ(慈悲)である」 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

佛に近づいてみる一週間。分かち与えることや怒らないことは自我とは対極にあります。「六波羅蜜」は佛への道ですが、その中身は慈悲、慈しみであろうかと思います。「見栄」や「意地」や「世間体」で生きる、その根底にあるのはエゴ、自我。

慈しみ、佛の姿からは遠ざかってしまいます。スマナサーラ長老のお話です。宗派は違いますけれど、佛の道の原点に関するお話と思います。

合掌 常満寺 範空 

🙏https://www.youtube.com/watch?v=W-t_BUehusc