「自我という気持ちが消えたならばそこにあるものが慈しみ(慈悲)である」
アルボムッレ・スマナサーラ長老
佛に近づいてみる一週間。分かち与えることや怒らないことは自我とは対極にあります。「六波羅蜜」は佛への道ですが、その中身は慈悲、慈しみであろうかと思います。「見栄」や「意地」や「世間体」で生きる、その根底にあるのはエゴ、自我。
慈しみ、佛の姿からは遠ざかってしまいます。スマナサーラ長老のお話です。宗派は違いますけれど、佛の道の原点に関するお話と思います。
合掌 常満寺 範空
正応四年 (1291年)創建 ”日輪、常に満てよ” 創建730年を迎えます
「自我という気持ちが消えたならばそこにあるものが慈しみ(慈悲)である」
アルボムッレ・スマナサーラ長老
佛に近づいてみる一週間。分かち与えることや怒らないことは自我とは対極にあります。「六波羅蜜」は佛への道ですが、その中身は慈悲、慈しみであろうかと思います。「見栄」や「意地」や「世間体」で生きる、その根底にあるのはエゴ、自我。
慈しみ、佛の姿からは遠ざかってしまいます。スマナサーラ長老のお話です。宗派は違いますけれど、佛の道の原点に関するお話と思います。
合掌 常満寺 範空