「だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、忽せ(ゆるがせ)にしてはならない」
先日、お釈迦様の弟子であるサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)を悪口を用いて誹ったため紅蓮地獄に自ら赴かれてしまったコーカーリヤ長老のお話を書きました。実はその後のお話が「増一阿含経」という初期のお経に書かれているとのことで今よんでいますが、しかしお経はたくさんあります。その前に地獄、地獄と言うけれど、ではどういう所なんだろう?という思いも浮かんできます。
それに対してお釈迦様が、詳細に以下のとおり語られております。出典は中村元先生訳のブッダの言葉(スッタニパータ)です。地獄だけでなく天界についての詳細な記述はないものかと探すのですが、、、もっぱら「地獄」に関する記述や言及が多いように感じます。こんなところには行きたくないですね。。。
「笑顔は笑顔を呼び、悪口は悪口を呼ぶ」
笑顔も、また一方で悪口や怒りも最初はたった一人であっても、どんどん増幅され、広がり人々や町や国を覆っていき、この世にも天界や地獄を作り出します。
自らが「魂の法則」たる「仏法」に背き、悪しき処に引き込まれてしまわないように、なるべく悪口や悪意には近づかないこと、善き処に近づけるよう、笑顔に近づいていくことが天に至る道なのでしょう。
地獄です。痛そうですね。👇
どうか皆様、くれぐれも肉体の死後に悪しき処、地獄に赴かれませんよう。
「真実を語れ、怒るな、乏しい中から分け与えよ」
「だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、忽せ(ゆるがせ)にしてはならない」
ブッダ
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(中略)けだし何者の業も滅びることはない。それは必らずもどって来て、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを感じる。(地獄に堕ちた者は)鉄の串を打ちこまれるところに至り、鋭い刃のある鉄槍に近づく。さてまた灼熱された鉄丸のようなものこそ、(昔つくった業に)ふさわしい食物として食わされるのである。(地獄の獄卒どもは「捕えよ」「打て」などといって)、やさしいことばをかけることなく、(温顔をもって)向って来ることなく、頼りになってくれない。
(地獄に堕ちた者どもは)敷き広げられた炭火の上に坐し、あまねく燃え盛る火炎の中に入る。またそこでは(地獄の獄卒どもは)鉄の網をもって(地獄に堕ちた者どもを)からめとり、鉄槌をもって打つ。さらに真の暗黒の闇に至るが、その闇はあたかも霧のようにひろがっている。
また次に(地獄に堕ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。火の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。また膿や血のまじった湯釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。彼がその中でどちらの方角へ向かって横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。
また蛆虫(うじむし)の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に湾曲していて、まわりが全部一葉だからである。また鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に堕ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。(地獄の獄卒どもは)鉤(かぎ)を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける。
また次に(地獄に堕ちたものどもは)超え難いヴェータラニー河に至る。その河の流れは鋭利な剃刀の刃(やいば)である。愚かな輩は、悪い事をして罪を犯しては、そこに陥る。そこには黒犬や斑犬や黒烏の群や野狐がいて、泣き叫ぶ、かれらを貪り食うて飽くことがない。また鷹や黒色ならぬ鳥までもが啄む(ついばむ)。罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。
だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、忽せ(ゆるがせ)にしてはならない。
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以上、「ブッダの言葉」(岩波文庫)より引用
合掌 常満寺 範空 🙏

常満寺大銀杏「ぐるぐる」